【東欧・歴史】チェコ史概要 早見表

チェコ史の特色

現在のチェコの地には古くはケルト人が住んでいたが、次第にゲルマン人が勢力を広げ、古代ローマ時代にはゲルマン人社会の中心地の1つだった。ゲルマン民族の大移動後は西スラヴ系のチェック人が移住してきて周辺民族と混血しながら現在のチェコ人が形成された。国土は大きく西部のボヘミアと東部のモラヴィアに分けられる。モラヴィアは元々スラブ系ではあるがチェック人とは別の民族で、当初はモラヴィアの勢力が強かったものの次第にチェコの中心となっていったボヘミアのチェック人と同化していった。

800年頃に隣接するフランク王国のカール大帝がアヴァール人を撃退したこともあり、モラヴィア王国時代からキリスト教カトリック文化圏に組み込まれていく。11世紀には勢力を拡大するポーランドへの対抗として神聖ローマ帝国の領邦となるが、東欧のポーランドやハンガリーと戦争を繰り返し、時にはポーランドに対し強勢を誇ることもあった。在来のプシェミスル家が断絶するとドイツ系諸侯家、ポーランド王家、ハンガリー王家といった外来の王に支配されるようになり、16世紀以降ハプスブルク家の支配下に収まっていく。

その一方で14世紀以降フス派の宗教改革運動を契機に民族運動が活発化し、ハプスブルク家のオーストリアに従属しながらも民族的威厳を保ち続け、首都プラハを中心として豊かな文化が育まれた。オーストリア帝国の崩壊後は東方のスロバキアとともにチェコスロバキアとして独立するが、チェコ人中心の社会はスロバキア人の反発が生まれ内部不安を抱えていた。社会主義体制からの脱却に際しスロバキア勢力が選挙で勝利した結果、チェコとスロバキアは世界的にも稀な平和的分離に成功した。

チェコ史 年表

ケルト系ボイイ人文化
B.C.1世紀頃
ゲルマン系スエビ人マルコマンニ族文化
A.D.5世紀
西スラヴ系チェック人文化
560年頃
アヴァール人の支配下
631年
サモ王国
658年
アヴァール人の支配下
800年頃
モラヴィア王国(大モラヴィア王国)
900年頃
ボヘミア王国(ボヘミア公国)
1003年
ポーランド公国の支配下(同君統治)
1004年
ボヘミア公国(神聖ローマ帝国の領邦)
1085年
ボヘミア王国(1代限り/神聖ローマ帝国の領邦)
1092年
ボヘミア公国(神聖ローマ帝国の領邦)
1198年
ボヘミア王国(神聖ローマ帝国の領邦)
・プシェミスル朝(870年頃~1003年、1004~1306年)
・王位争い(1306~1310年)
・ルケンブルコヴェ(ルクセンブルク)朝(1310~1437年)
・ハプスブルコヴェ(ハプスブルク)朝(1438年~1457年)
・ポジェブラト朝(1458~1471年)
・王位争い(1471~1479年)
・フニャディ朝(1479~1490年)
・ヤゲロンキ(ヤギェウォ)朝(1490~1526年)
・ハプスブルコヴェ(ハプスブルク)朝(1526~1780年)
・ハプスブルスコ=ロートリンスカ朝(1780~1918年)
 (ハプスブルク=ロートリンゲン)

1804年
ボヘミア王国(オーストリア帝国領)
1918年
チェコスロバキア暫定政府
1920年
チェコスロバキア共和国(第一共和国)
1938年
チェコ=スロバキア共和国(第二共和国)
1939年
ナチス・ドイツの支配下
1945年
チェコスロバキア共和国(第三共和国)
1948年
チェコスロバキア共和国(人民民主主義)
1960年
チェコスロバキア社会主義共和国
1990年
チェコおよびスロバキア連邦共和国
1993年
チェコ共和国
現在