【東南アジア・歴史】カンボジア史概要 早見表

カンボジア史の特色

紀元1世紀に扶南が成立して以来、現在のカンボジアにあたる地域は東南アジア大陸部の中心地として長く繁栄を謳歌した。オケオにある扶南時代の遺跡群からはローマ帝国の金貨や、中央アジアにあったクシャーナ朝の仏頭が発掘されるなど古くから遠方との交易があったと考えられている。扶南の民族系統には諸説あるが、真臘以降はクメール人がカンボジア周辺を支配したことが分かっている。中でもアンコール・ワット等の遺跡群で知られるクメール王朝はインドシナ半島中央部を席巻する大帝国を築き上げた。

しかし、カンボジアの西方で勃興したシャム(タイ)人の勢力が増し、クメール王朝が衰退するとカンボジアの歴史は暗黒時代に突入し、現代に至るまで隣国のタイとヴェトナムの間で板挟みの歴史を辿っている。それでもカンボジア王室はクメール王朝末期のトロソク・ピヤム王(1336~1340年)以来、タイやヴェトナム、フランスをはじめとする列強の圧力、ポル・ポトによる虐殺で知られるカンボジア内戦を乗り越えて、約700年の間命脈を保ち続けている。

カンボジア史 年表

1世紀頃
扶南
550年頃
扶南と真臘の抗争
630年頃
真臘(チェンラ王国)
700年頃
水真臘・陸真臘の小国家群
8世紀後半
ジャワ(シャイレーンドラ朝)の影響下
802年
クメール王朝(クメール帝国/アンコール王朝)
1431年
カンボジア王国
・チャット・ムック首都時代(1431年~1530年頃)
・ロンヴェク首都時代(1530年頃~1594年)
・スレイ・サントー首都時代(1594~1618年)
・ウドン首都時代(1618年~1866年)
・プノンペン首都時代(1866年~現在)

1863年
フランスの保護領
1887年
フランス領インドシナの支配下
1941年
日本軍とフランス領インドシナの二重支配下
・1945年3月日本軍によるフランス領インドシナ解体とカンボジア王国独立宣言
1945年
フランス領インドシナの支配下
1949年
フランス連合内での独立
1953年
カンボジア王国
1970年
カンボジア内戦
・ロン・ノルのクーデター政権(クメール共和国:1970~1975年)
・ポル・ポト/クメール・ルージュ政権(民主カンプチア:1975~1979年)
・親ヴェトナム政権(カンプチア人民共和国/カンボジア国:1979~1991年)
・反ヴェトナム政権(民主カンプチア連合政府:1982~1991年)

1991年
カンボジア最高国民評議会と国連の暫定統治
1993年
カンボジア王国
現在