【トルコ・歴史】アナトリア史概要 早見表

アナトリア史の特色

メソポタミア文明の周辺地域として古い歴史を持つ。ヒッタイトは世界最古の鉄器文化を持つとされ、王国が崩壊するまで鉄器生産を独占し強勢を誇っていた。その後はフリュギアやリュディア等の小国が乱立し、やがてペルシア、ギリシア(マケドニア)、ローマの支配にさらされる。
ローマ帝国の分裂後はギリシアと共に東ローマ帝国の中心地となるが、セルジューク朝の侵入を契機として中央アジアからトルコ人が移住し、現在まで繋がるトルコ人中心の文化が根付いた。
ヨーロッパとアジアを結ぶ文明の十字路として知られ他国からの圧力や民族の侵入が相次いだが、ビザンツ帝国やオスマン帝国のような長期にわたって政権を維持した帝国が存在した。

アナトリア史 年表

B.C.5000年頃
ハッティ人文化
B.C.20世紀
ヒッタイト人文化
B.C.17世紀
ヒッタイト王国
B.C.1200年頃
フリュギア人文化
B.C.8世紀
フリュギア王国
B.C.600年頃
リュディア王国
B.C.547年
アケメネス朝ペルシアの支配下
B.C.333年
マケドニア王アレクサンドロス3世の支配下
B.C.323年
ディアドコイ戦争・アンティゴノス1世の支配下
B.C.301年
ディアドコイ戦争・リュシマコスとセレウコス1世による分割
B.C.281年
セレウコス朝シリアの支配下
B.C.191年頃
ペルガモン王国
B.C.133年
ポントス王国
B.C.64年
ローマ帝国の支配下
A.D.400年頃
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)
1071年
セルジューク朝の支配下
1077年
ルーム=セルジューク朝
1250年頃
フレグ・ウルス(イルハン国)の支配下
1350年頃
ベイリク(君侯国)の割拠
1400年頃
オスマン帝国
1922年
トルコ共和国
現在